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プロローグ

「アラサー」という言葉が怖かった。

ずっと先輩だと思っていた『名探偵コナン』の蘭ねえちゃんの歳もいつの間にか追い越していたし、おばさん代表だと思っていたサザエさんも、いつの間にか自分より年下になっていた。

仕事で全国を飛び回っている間に、気づけば20代は終わっていた。

ちなみにこの「気づけば」というのは過労で倒れた病院のベッドの中だ。

自力で立てなくなってようやく、(半ば強制的に)止まることができたのだ。

そういうわけで、「気づけば」会社を辞めた同期たちはいつの間にか結婚しており、Facebookのタイムラインが結婚式一色になったかと思えば、今度は赤ちゃんの写真や動画の嵐だった。

「本当に日本の出生率は低迷しているのだろうか?」と疑うほどに、身の回りでは赤ちゃんがたくさん産まれていた。

30代になっても家庭を持っていない私は「ちゃんとしていない」と責められている気がして、静かにFacebookアプリをアンインストールした。

「私の人生、私のキャリア、どうしよう?」

私はいつだって悩んでいた。

女のキャリアは難しい

大学を出て、希望の就職をして、彼氏もいる。すべてが順調なはずなのに、私はいつも不安だった。

「結婚して子どもが欲しい」

そう思っていたはずなのに、なぜか結婚に踏み切れない。

それは、自分の人生が、結婚で「終わる」気がしたからだ。

子どもを産んで、キャリアが断絶して、そのあと私はどうしたいのだろう?

先が見えない状態で「契約」を結ぶことが、当時の私にはできなかった。

「仕事をしていたいのか、子育てをしたいのか」

いつもこの二者択一を迫られている気がした。

いっそ自分が働くことを諦めて、お金持ちの人と結婚して子育てに専念したら良いんじゃないだろうか?

そう考えて婚活を始めた。

しかしすぐに「人の経済力に頼り続けるリスクに対する警鐘」と「打算的な結婚への抵抗」が私を支配した。

このとき私は「私は自分の足で立っていたいのだ」ということに気づいた。

いざ妊娠したら恐怖だった

その後、私は結婚した。婚活で出会った人ではなく、学生時代の先輩と。

妊娠した私は相変わらず「仕事をしていたいのか、子育てをしたいのか」という問いに悩んでいた。

とりあえず会社員は続けよう!と決めたものの、いざお腹が膨らみ始めるとだんだんと不安になってきた。

とにかく職場の男性たちが羨ましかった。

「どうして私ばかりこんなに悩まなければいけないのだろう」
「どうして夫はキャリアが断絶しないのだろう」

黒い感情がふつふつと湧き上がってきた。

同僚に「すぐ戻ってくるから」と残した最終出社日ははるか遠くに感じられた。

産休前は産後6ヶ月で職場に復職しようと意気込んでいたはずの私は、一方でお腹の赤ちゃんがどんどん愛おしくなる自分に困惑した。

「もっと子どもといたい」と願うようになっていた。

それはまるで出産を経て私自身も生まれ変わったかのような体験だった。

だけど、仕事と子育ての両方は選べないことも分かっていた。

身近にロールモデルがいなかったからだ。

それまで、私の頭の中には常に「もっとがんばらなければ」という強迫観念が常駐していた。

学生時代から、何かを解決するには「がんばる」と相場が決まっていた。

「がんばればなんとかなるよ」
「できないのはがんばりが足りないからだよ」
「もっとがんばりましょう」

でも、がんばってもがんばっても、不安は消えない。

がんばるってなんだろう。

いつしか、どうがんばったら良いのかも分からなくなっていた。

このときの私は「後輩たちに抜かれる」ということにとてつもない不安を感じていた。

「戻ったときに私の居場所はあるのだろうか」
「復職してからどうキャリアを築いていったら良いのだろうか」

そんなことばかり考えていた。

男性ルールのサラリーマンコースしか見えていないことに、このときは気づいていなかった。

自分にはなにもない

どんなに悩もうと、望む答えが出なかろうと、強制的に産休に突入した私は、会社との接点がなくなった。

会社に行かなくてもパソコンは相変わらず会社のネットワークに接続できるので、はじめの頃はメールを確認したり情報収集を続けたりしていた。

子どもが生まれる前は、育休中でもセミナーや社内の勉強会に参加する気満々だったが、実際の育児はそんなに甘くはなかった。

会社のパソコンはすぐに遠のき、とうとう申し込んだセミナーに出席することはなかった。

椅子に座って落ち着いてパソコンを開いて活字を読むなんていうことは到底できなかった。

そのうち未読メール件数がストレスになり、会社のメールは見なくなった。

「いっそ、がんばらないと決めたら楽になるんじゃないか」
「ぶら下がり社員として、のらりくらりやっていけば良いじゃないか」

いつしかそう考えるようになっていた。

そんな折、授乳中でもスマホで読めたのがTwitterだった。

それまでSNSにはまったく興味がなかったのだが、このとき初めてTwitterに足を踏み入れた。

すると、そこには色々な人たちがいた。
私と同じような悩みを抱えている人たちも大勢いた。

このとき「マミートラック」という言葉を知った。

私が勤めている会社は、女性が働きやすいランキングの上位に挙げられることも多く、女性管理職も多い。

それはそれで結構なことだけれど、「外の世界」を知った私は、自分がこれまで「会社内のキャリア」しか見ていなかったことに気づいた。

自分の足で立っているために、会社員以外の道を模索したい

そう強く思った。

私にとってのパラダイムシフトだった。

同時に会社の名刺がない私にはなにもないという事実を突きつけられることになる。

主体的な人生を

子どもを産んだとき、「歯を食いしばってバリキャリするのか」「ぶら下がり社員になるのか」という二択に結論を出さなければいけないと思いこんでいた。だけど、実際はやってみないと分からないことも多い、と今では思う。

切れるカードが複数枚あるから「選べる」。

選ぶって自分の人生を自分でコントロールするということなのだ。

「いざとなったら別のカードを切れば良い」そう思えるだけで強くなれる。自分の人生を主体的に生きられる。

私は自分の人生を主体的に生きたい。もっと強くなりたいし、自分に力をつけたい。

そして、同じような悩みや思いを持っている人を応援できたらいいな。

エンジニアという強みを生かしてなにかできないかな。

そんな想いで始めたのが、「オンライン軍師」である。

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